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子宮頸癌
妊娠中の検査で「子宮頸癌」が発覚。
進行が遅いという事で、出産後に手術をすることに。
初めての赤ちゃん。
この子を育てきれないかもしれない・・・。
いつまで一緒にいられるのかな・・・。
「子宮頸がん」と診断された帰り道、そんなことばかり考えていました。
産後1ヶ月でレーザー手術。
「後は定期的な経過観察です。」
とのこと。
癌が進行する前の、早い段階での発見と手術。
あれから早いもので6年が過ぎました。
「赤ちゃんがきてくれたから、発見することが出来たんだね。
赤ちゃんは命の恩人だよ」
本当にそう思います。
姉
出産し、初めての子育ては初めてがいっぱいでした。
朝起きて、気付いたら夜。
そんな毎日。
母親が中学の時に癌で他界しているので、
その後は姉が母親代わりに色々と世話をしてくれました。
さすがの子育て経験者。
家事や赤ちゃんのお世話、私の精神的なフォローまで。
自分も2人の子育て中なのに・・・。
「2人の世話も、4人の世話も一緒だよ」
そう言って笑ってました。
姉の出産時は、義母さんがお世話をしてくれていたらしいのですが、
「お母さんがいてくれたらなって思った」
だから私の時には、その分助けてあげようと思ったそうです。
聖母マリア様です。神様です。
こんな素敵な姉を有り難う・・・・。
元旦那さん
子宮頸がんの手術後、家族3人での生活がスタートしました。
やっぱり・・・・
比べてしまいますよね。
姉の至れり尽くせりと・・・。
家族の生活がスタートして1週間後のことです。
私にとっての大事件が起こりました。
発熱
小学生以来、熱なんて出した事もなかった私。
インフルエンザは勿論、風邪だってひいた事はありませんでした。
そんな私の発熱。忘れもしない。
38度4分。
夜中には39度に。
慣れない子育てと手術が重なり、免疫力が低下していたのかもしれません。
ベッドで唸る私に(元)旦那さんが
「ハハッ!熱出してるよ!熱出ないんじゃなかったの?」
そう笑って仕事へ・・・。
全然笑えませんでした。本当に。
何なんだろう?今のは・・・。
その夜。
仕事から帰ってきた(元)旦那さん。
「ねえ。赤ちゃんのお世話どうするの??俺は無理だよ!無理無理!出来ないよ?母親しかできないでしょ。頑張りなよ」
熱で聞き間違えたのか・・・。
いやいや。本気で・・・真顔で言ってたわ・・・。
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初めての出産
大型病院での初めての出産は、なんと合同!?出産。
薄いカーテン1枚で仕切られていました。
出産はお母さんも赤ちゃんも命がけ。
「赤ちゃんも苦しいのを我慢して、お母さんに会う為に頑張ってるんだからね。」
そう姉に励まされ、私も「うっ・・・」「くっ・・」と
陣痛と戦っていましたが
「いたーーーーーーーい!いたい!痛い!痛い!いたいーーーーー!」
隣の妊婦さんの苦しそうな叫び声が気になってしまい・・・。
私の陣痛の波が引いていってしまいました。
駄目だ。集中!集中!
私の声が聞こえないので、気を失っているのかと外で心配する家族。
反対側では
「赤ちゃん出てきたよ!息して!!ほら!!
酸素準備!」
バタバタと数名のお医者さんと看護師さん達が集まってきます。
そうこうしていると、私もやっと
「いきんでいいよ!!ほら!!頑張って!」
子宮口10センチに到達!!やっと力一杯息むお許しが出ました!!
3~4回の息みで無事に出産。
姉曰く、初産にしては安産だったようです。
こうして初体験の合同出産でしたが、全員無事に出産を終えました。
本当に出産も人それぞれに、色んな物語があります。
出産よりも
共同出産したお母様方から、後に
「エレガント出産」と呼ばれた私の出産でしたが、
なんとも出産より陣痛より苦しいのが、縫合。
痛いなんてもんじゃないです。
いや、痛いんですけど。
息が止まる程の痛み。
「先生!あと何分で縫合終わりますか!!!????」
エレガントな私ですが、耐えきれずに先生に必死のアピール!
痛いんですけどー!!!泣
でも後々の事を考えて、しっかり縫合して頂かねば!!泣
必死に時間が過ぎるのを待ってました。
出産は例えるなら
子供の頃にテレビで観た
ドラゴン○ール主題歌。ラストの一言。
「スパー○ン!!」
あの絵と台詞そのままでした。
縫合は
こけて怪我した箇所を、丁寧に針でなぞられるような・・・。
そんなゾッとする時間が数分・・・
体感は数十分。
あの耐えがたい痛みは、人生で初めての経験でした。
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交際スタート
猛アプローチの末、見事交際をスタート。
しかし、価値観の違いで喧嘩の絶えない日々。
別れてよヨリを戻すの繰り返し・・・。
「価値観の違いは致命的だよ」という私に、
「違いすぎるから、新しい発見があって良いんだよ」と
もっともらしい切り返しをしてくる元旦那さん。
基本は面倒くさがりなので、そんなもんかと深く考えずに終わらせる私。
人間は十人十色ですもんね。
結婚しましょう
学生時代は子供の泣き声を聞くと、苦しくて息が出来なくなる感覚になり、子供が苦手。
周りの友達からも、絶対に子供は産まないだろうと言われていました。
そんな私が妊娠。
結婚前に妊娠が発覚し、半ば脅すように結婚へこぎ着けました。
仕事しかない自分。
そんな私がついに結婚したのです。
これからは、家族とともに生きていこう!!そう決意しました。
前駆陣痛
悪阻もなく、仕事も臨月間際までバリバリに働かせて頂きました。
産休に入り、出産予定日2週間前の妊婦健診。
「臨月の妊婦さんは、空気を吸うだけでも太るよ」という姉の言葉通り、検診の時の体重測定でいかに数gだけでも押さえる事が出来るか・・・。
そんな事に集中していると、先生から
「あと2週間以内で陣痛くると思いますから」とのこと。
そうなんだと帰路につきました。
帰宅すると、なんだかお腹がチクチク。
これが噂の前駆陣痛!?
本陣痛の前に、予行練習のような前駆陣痛というものがあるらしいのです。
前駆陣痛でも痛いらしい。
うん。痛い?・・痛い!?
ちょっと待って。前駆陣痛ってこんな痛いのか???
例えるならお腹を極限に下したけれど、出せない。
痛みのピークの波がやってきて、そして引いていくの繰り返し・・・。
前駆陣痛恐るべし
そんな痛みと戦っていると、姉が自宅訪問。
私の様子を見てすぐに車で病院へ・・・。
自分で受け付けをし、階段で2階の診察室へ。
先生「大変だ。子宮口7センチ開いてる!!すぐに分娩台に!!お母さん!今から出産ですよ!」
そうだよね。この痛みで前駆陣痛って・・・。
看護婦さん「ご自宅にいたの?今日診察してたよね???」
私「はい。あと2週間以内にと言われました。
まあ今日も2週間以内ですけどね。」
車椅子で運ばれながら談笑。
私は持病があり、個人病院での分娩が出来ないので、大きな病院での出産でした。
初めての出産。
「痛い!!!!いたい!!痛い!!!!」
!?!?!?!?!?
カーテンの奥から苦しそうな妊婦さんの声。
大型病院での初めての出産は、カーテン1枚隔てた3人合同?出産でした。
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ワーカホリック
気づくと、なんと勤続5年。
店長を任せて頂けるようになりました。
今までにない責任感と充実感!
「私がやらなきゃ!」
なかなか思い込みの激しい性格。
頼られてる!
私にしか出来ないんだ!!
とか思っていました。
無趣味の私は、休みの日にしたいことも無く・・・。
気づくと職場でデスクワーク。
周りのスタッフはいい迷惑だったでしょう・・・汗
「店長、ゆっくり休んだ方がいいですよ」というスタッフに、
「大丈夫。私、他に何もないから」
真顔でそんなこと言ってました。
出会い
「この人と絶対結婚する」
元旦那さんを見たとき、そう思いました。
出会った瞬間、恋に落ちるとか、雷が走るとか・・・・
全然そんなんじゃないです
ただ
この人と私の子供・・・絶対可愛い!!
本能的にそう感じました。
元旦那さんは、体臭がしない。
何かの番組で、遺伝子レベルで相性が悪いと、パートナーの体臭が気になるとかなんとか聞いたような・・・・。
ああ。遺伝子レベルで相性が良いんだ
思い込みの激しい私。こうやって自己洗脳。
猛アプローチを仕掛けます。
ちょっと変わったシングルマザーの日々
はじめまして。
30代のシングルマザーです。
5歳になる息子が1人。
初めてのブログ・・・。何を書こうか?と思いましたが、今までの思い出を少しずつ・・・
何事も中途半端
子供の頃から、何に対しても中途半端な性格でした。
続かない。
本当に続かない。
子供の頃の習い事は、2つ上の姉について行って始めた「水泳」「習字」「ピアノ」「塾」「バスケットクラブ」etc..
10代後半から20代前半で始めたアルバイトは「ケーキ屋さん」「パチンコ店」「ファミレス」「スナック」「キャバクラ」etc...
最長1年。
最短1ヶ月。
そんな堪え性のない私が出会ったのが、今の職場でした。
珈琲との出会い
20代前半。姉からの薦めで始めた職場が
「カフェ」でした。
当時90代後半に差し掛かっていた祖父が、毎朝ハンドドリップで淹れるコーヒー。
「もっと美味しくするコツを覚えて、お爺ちゃんに教えてあげよう!」
そんな感じでした。
優雅に働いているようなスタッフ達でしたが、実際はとってもハード。
覚えることが山のよう。
「よし。辞めよう」
続かない私は、すぐに決意しました。
魔法の言葉
しかし、姉や当時働いていたキャバクラの先輩達からの
「取りあえず3ヶ月だけ頑張りなさい。そしたら辞めていいから」
この魔法の言葉で踏ん張りました。
人間関係に揉まれ、お客様に揉まれ・・・。
毎週のように泣きながら働いてました。
あと3ヶ月で辞めよう。
あともう3ヶ月・・・
気づくと1年、2年と月日が過ぎて行きました。